平成最後の日。
テレビを見ているとそんな気持ちにはなりますが、結局子供をつれてどこへ行く?という話になり、入間のイオンへ。時間があればアウトレット行ったりということも考えていましたが、イオンを出るころには3時位に、また、イオンに着く直前の道路の渋滞はアウトレットorコストコ渋滞ではないか?という話になり、おとなしく普通に帰ってきました。
帰ってきてテレビをつけると、今日の天皇陛下の行事が流れていました。
昭和から平成になった1989年、自分は小学生だったのと、もしかしたら病院だったのかもしれませんが、当時の事は全く覚えていません。
戦争のない30年、失われた30年と言われていましたが、自分にとってどうだったのか。
平成元年(1989年)で思い出すのは、伝説のブライアント4連発。 あの放物線、渡邉久信投手が膝をつく姿、テレビの前で茫然とした記憶は今でも残っています。常勝西武、10年で9度の優勝で唯一優勝できなかった平成元年、恐らく自分が死ぬまで忘れられないと思います。
1990年代、小学校、中学校、高校と学生時代を過ごした10年間。
小学校は入退院の繰り返しで、1/3は行っていません。 中学校は3年間野球に明け暮れました。今になって思えばですが、当時の坊主になるという入部条件は、ありえないことだったんだと。 右に倣えで、どうしても嫌ということでもなかったため、従いましたが、今それを言うと、体罰だ、教育委員会だ、ということになるのでしょうか。
高校は電車通学したかったため、聖望学園高校へ。3年次隣の教室に、後の阪神タイガース 鳥谷敬がおり、3年次に初めて夏の甲子園出場でした。バスで甲子園へ応援に行ったことはいい思い出です。 初戦敗退で悔しかったですが、数年後に春の選抜で決勝に行き、東浜(現ソフトバンク)要する沖縄尚学に何もできず敗れたので、勝ち運が無いのかもしれません・・・ 個人的には、バンド活動をして、文化祭で演奏したことが一番の思い出です。その時使ったベースが今もクローゼットに置いてあるのは、捨てられない理由があるからでしょうか・・・
2000年代、大学受験で連敗し、唯一合格した大学へ。今思うと、どこの大学へ行って、何を学びたかったのか、いまだにわかりません。ファッションや車が好きで、後に自転車も趣味になりますが、じゃぁそれを勉強してそっちの道へ行きたかったかというとそうでもなく。 何となく経済学部に入り、必修だった簿記の単位を取るためにTACへ勉強しに行き、その流れで税理士を目指すことになろうとは。会社員や公務員になる気持ちは全くなかったため、就職活動も一切していません。3年生になってみんなが一斉に動き出したのが、何となく気持ち悪いというか、そこに意味があるのか、とも思いまして。なんか偉そうですが、深く考えていませんでした。
大学卒業後、三鷹の会計事務所にバイトで就職し4年弱、中央区の会計事務所に転職し3年半、そして当時東銀座の税理士法人で8年間。 15年かかってようやく税理士試験に合格しました。
その間に妻と出会い、結婚し、長男、そして長女が生まれました。 平成最後に独立したため、自分の人生の土台を作ってくれたのが、平成という30年間。その土台を崩すのも、強固にするのも自分次第です。
平成という時代に感謝し、令和をどんな時代にするか、夢や目標なんてものは特にありませんが、今ある仕事と仲間とお客様にも感謝して前に進んでいきたいと思います。